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11.和製ジャズ温故知新2019/幻のモカンボセッション
- 2019/03/20(Wed) -
戦後のジャズシーンを語る上で欠かせない人物がいる。

天才ピアニスト守安祥太郎である。
モカンボ2 
バップピアニストのバド・パウェルを徹底的に研究した彼は、
この時代スイングスタイルのピアノ奏法が多い中、いち早く
ビバップのスタイルを身につけた存在で知られる。

彼は、奇癖を持っていたらしく、いわゆる曲弾きと呼ばれる曲芸のように、
ピアノの下から手だけ出して弾いたり、椅子に後ろ向きに座り右、左反対に
弾いたり、さらにステージで踊りだすという変わった人間だった。
今ならさしずめキースジャレットか?

そのような才能に恵まれた守安も躁鬱病で1955年32歳で自害してしまう。
その守安が歴史に名を残すのは、日本で初めてのジャムセッション1954年
ナイトクラブ「モカンボ」のセッションがあったからである。セッションは3日間。
現在残るものは3日目のセッションのもので、手製の重量級テープ・レコーダーに、
強く引けば切れる紙テープという、今では考えられないような代物を駆使して
録音が行われた。
 モカンボ1 
メンバーは守安祥太郎、秋吉敏子、ハンプトン・ホース、石橋エータローのピアニスト、
サックスは宮沢昭、渡辺明、五十嵐明要、渡辺貞夫、与田輝雄、海老原啓一郎
ベースでは金井英人、滝本達郎、ドラムでハナ肇、清水閏、五十嵐武要、原田寛治、
そして杉浦良三(vib)や高柳昌行(g)等だ。沢田駿吾と植木等もいる。

面々を見ると日本でいち早くモダンジャズを身につけたメンバーばかりで
後に日本のジャズシーンを牽引していく、渡辺貞夫が入っているのが興味深い。
モカンボ3
演奏は守安と宮沢が清水潤のドラムに鼓舞されて入魂の演奏を繰り広げる。
特に守安がビ・バップを自分の音楽としているのに驚く。

ここに集まった演奏家たちはその後それぞれの道を歩むことになるが、
日本のジャズのスタートはこの夜にあったといっても過言ではない。

I WANT TO BE HAPPY (MOCAMBO SESSION ’54)
演奏:宮沢昭(ts) 守安祥太郎(p) 鈴木寿夫(b) 清水潤(ds)



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10.和製ジャズ温故知新2019/CBナインと舶来主義
- 2019/03/18(Mon) -
1952年から起こった戦後のジャズブームは55年には下火になる。

52年ジンクルーパトリオ、53年ルイ・アームストロング・オールスターズ、
JATPオールスターズと相次いで来日し、日本のジャズファンは本場の圧倒的な
演奏とスイング感に打ちのめされるのである。

そこで日本のジャズファンの中に起こったことは、ジャズはアメリカ!という舶来主義
と日本のジャズを大切に!しようと言う国内支持派に皮肉にも分かれてしまい、そのこと
が原因となりジャズブームは下火となっていく。
その欧米に偏った舶来主義は2019年の現在でも続いている。

そんなこととは関係なく、ジャズの追求に余念のないミュージシャンは
ジャズブームが来る前の1949年、本格的なビ・バップバンド『CBナイン
(クランベークナイン)』を結成する。

中心にはリーダーで編曲もやる馬渡誠一(as)、海老原啓一郎(as)、北里典彦(tp)、
清水閏(じゅん)(ds)。戦中は敵性音楽として禁止されていたJAZZが、戦後なだれの
ごとく入って来て、それを受止めるミュージシャンも大変だったに違いない。
そのJAZZの流れを的確に読み、いち早くバップ・イディオムを身につけた馬渡誠一
や海老原啓一郎は一歩先を行く存在だった。
さらにジーン・クルーパに酔っている時代にビ・バップのリズムをたたき出そうとした
清水閏の存在も大きい。

このグループには松本英彦(Ts)も在籍した。CBナインは大きな功績を残すも
2年間の活動で解散となり、ジョージ川口とビックフォー渡辺晋とシックス・ジョーズ
与田輝雄とシックスレモンズを頂点とするジャズブームにつながっていく。

映像はCBナインのメンバーを中心に編成された、『スイング・ジャーナル・オール・スターズ』

『スイング・ジャーナル・オール・スターズ』
北里典彦(tp)
林 一(tb)
海老原敬一郎(as)
厚母雄二郎(ts)
松本英彦(ts)
塩井芳幸(bs)
寺岡真三(p)
荒井襄(g)
小原重徳(b)
清水潤(ds)
安藤八郎(vib)


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9.和製ジャズ温故知新2019/戦後ジャズブーム到来
- 2019/03/16(Sat) -
戦後の日本に空前のジャズブームがやってくる。
1952年から55年の頃である。

1945年の終戦以来多くのジャズバンドが誕生した。
それを後押しするように、52年ドラムの名手ジン・クルーパトリオが来日する。
ジーンクルーパ 
ジン・クルーパといえばベニーグットマン。と、いえば、『シング・シング・シング』
と、いえば、ジン・クルーパというほどジャズファンのみならず一般にも知られた
存在である。 盛り上がらないはずはない。

もう一つ後押しをしたのが、53年にノーマン・グランツ率いる
J・A・T・P「ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニー」が来日する。
この時は、オープンカーで銀座をパレードしたらしい。
来日メンバーは
◎ロイ・エルドリッジ(TP)
◎チャーリー・シェイヴァース(TP)
◎ビル・ハリス(TB)
◎ウィリー・スミス(AS)
◎ベニー・カーター(AS)
◎フリップ・フィリップス(TS)
◎ベン・ウェブスター(TS)
◎オスカー・ピーターソン(P)
◎ハーブ・エリス(G)
◎レイ・ブラウン(B)
◎J・C・ハード(DS)
◎レイモンド・チュニア(P)
◎ジーン・クルーパ(DS)
◎エラ・フィッツジェラルド(VO)
JATP.jpg 
この豪華メンバーを見たら銀座のパレードもうなずける。

そして、だめ押しに同年ルイ・アーム・ストロング・オールスターズが来日し
ミュージシャン、ジャズファンにジャズの本場の圧倒的なパワーを見せつけ
大きなインパクトを与えジャズ・ブームに拍車をかけた。
ルイ 
写真は日本最高の人気グループだった『ジョージ川口とビックフォー』。
びっく42
ジョージ川口(ドラム)中村八代(ピアノ)小野 満(ベース)松本英彦(サックス)








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8.和製ジャズ温故知新2019/ジャズとGHQ
- 2019/03/09(Sat) -
戦後から2年後の1947年、GHQ終戦連絡中央事務局の要請で
日本ミュージシャンズ・ユニオン』が結成される。
この年ジャズ雑誌『スイングジャーナル』が創刊される。(2010年廃刊) 
Swing20Journal20-20196204.jpg 
これは言ってみればバンドの格付け審査で、審査はGHQスペシャル・サービス
の立会いで、特別調達庁から委嘱された紙恭輔、渡辺弘、ディック・ミネ、南里文雄らが行なう。

現在の渡辺プロダクションを始めとする戦後の芸能プロダクションの専属タレントの報酬制度は
、この格付け審査を踏襲したものである。

また、この時期非公式に日米親善を目的として、多くのダンスパーティーが開かれる。
このパーティーには、アメリカ側から占領政策の中枢を占める高官が、日本側からは皇族、
政財界の実力者が顔を揃える。 この政策のメッセンジャーをつとめたのが『渡辺 弘と
スターダスターズ
』をはじめとするジャズメンたちである。

戦後占領軍の力で発展しようとしたジャズバンドは、その代償として占領政策の忠実な
メッセンジャーを務めることになるのである。
このことが、後にアメリカナイズの風潮として日本の上流階級を腐蝕し、庶民階級にも
外国崇拝舶来ブームの風潮を拡げていく。
その影響は日本社会に長く尾をひき、戦後の音楽芸能の世界にその後も深く広く根を張る
ことになる。

■STARDUSTERS - SWING FANTASY ■演奏:渡辺弘&スターダスターズ ■編曲:黛敏郎




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7.和製ジャズ温故知新2019/ナンシー梅木
- 2019/03/08(Fri) -
終戦後、怒濤のように米国から入ってくるジャズの動きにつれて
戦後初のモダンジャズコンボ「飯山茂雄&ゲイシックステット」が
結成される。終戦から翌年の1946年のことである。
飯山バンド
メンバーはフランシス・キーコ(Pf)、角田 孝(Gt)、レイモンド・コンテ(Cl)
飯山茂雄(Dr)。

フランシス・キーコ(Pf)、レイモンド・コンテ(Cl)はフィリピン出身のミュージシャンで
センスの良い演奏は日本のジャズ界に大きな影響を与えている。
角田 孝はいち早くモダンギターを身につけた名手、飯山茂雄はジーンクルーパ
スタイルからモダンドラムスタイルをいち早く叩いたドラマーである。

その他、最初のビ・パップ・バンドの一つと言われる「松本伸とイチバン・オクテット」
(後に秋吉敏子も参加)や「長尾正士のビーバップ・エース」が編成されたのも
昭和23年(1948年)のことである。

この時代星の数のように多くのグループとミュージシャン、歌手が登場するが、その中で
あまり聞かない名前にナンシー梅木(本名/梅木 美代志)がいる。
ナンシー 
ジャズヴォーカルで女優でもあった彼女は、40年代中から50年代日本と米国をまたにかけて
活躍する。アニタ・オデイ似の声で歌うハスキーボイスはなかなか秀逸である。

特に女優として日本人として初めて1957年ハリウッド映画「サヨナラ」で
アカデミー賞助演女優賞を受けている。 今で言う、国際派女優の走りである。
なお、この年の助演男優賞にはやはり日本人の早川雪洲(『戦場にかける橋』)がノミネート
されている。

そのように世界を股にかけて活躍をした彼女もまた、戦争の影響を大きく受けた一人で、
晩年はミズーリ州オーザックで静かに亡くなっている。




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6.和製ジャズ温故知新2019/進駐軍JAZZ
- 2019/03/07(Thu) -
1945年の終戦とともに、今まで敵性音楽として禁止されていたジャズ
が演奏されるようになる。

終戦とともにGHQ(連合国総司令部)の指導のもと、翌年から音楽放送も始まる。
ここが大事なところで、戦争に敗れた日本は米国の指導のもと、ジャズを始める
のである。

「ニュー・パシフィック・アワー」というタイトルで松本伸の率いる
「ニューパシフィック楽団」が登場する。この楽団には後に自分のバンドを
持って活躍した、渡辺 弘、菊池滋弥、谷口又士、飯山茂雄、ジミー原田、
森山久等そうそうたるプレイヤーで編成されていた。
61.jpg
このメンバーはいずれも戦前、戦中を通じスタープレイヤーとして名を馳せた
メンバーばかりである。
この当時の多くのメンバーは、軍楽隊出身でクラシックやマーチをたたき込まれた
腕をジャズに切り替えて演奏を始める。

軍楽隊出身には、シャープ・アンド・フラットの原信夫、ニューハードの宮間利之等
のビックバンドのリーダーをはじめ、テナーサックスの尾田悟、トランペットの松本文男、
サックスの宮澤昭がいる。
62.jpg 
このグループ(アズマニアン)にはジョージ川口、松本文雄(ミュージックメーカーズのリーダー)
南里文雄等も参加している。

当時の日本のレコード会社はジャズやポピュラーの輸入盤の発売をGHQより規制され、
進駐軍のラジオからのジャズ、ポピュラー・ソングやダンス・ミュージックは
聴くことは出来ても、闇取引以外に外国のレコードの入手は困難で、進駐軍の
キャンプや許可された劇場以外の場所での外国ポップスを演奏したり、唄う事は
禁じられていたのである。

そのようなことで、もっぱら進駐軍の基地の中のクラブでジャズは演奏され、
東京、新宿、立川、横浜等、キャンプ地の駅周辺には米軍キャンプの仕事を求めて
ジャズメンが集合する。
進駐軍3
その中には、ジョージ川口(ドラムス)、世良譲(ピアノ)、松本英彦(テナーサックス)
鈴木章治(クラリネット)笈田敏夫、ペギー葉山、ナンシー梅木、江利ちえみ、雪村いずみ、
伊東ゆかり、フランク永井等、皆駐留軍のキャンプ廻りから育ってゆく。

この時期、米国ではビーバップ全盛の時代だが戦争で鎖国をしていた日本には
新しいジャズの息吹は入ってきていない。

こうして戦後のジャズ・シーンの幕が開いてゆく。








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『レイモンド・スコットのElectronium』シンセサイザー続続編。
- 2019/03/06(Wed) -
このところはまっているレイモンド・スコット『Electronium』
の音音源をアップします。

音源は1959年。MOOGなんかが全然無い時代、こんな音楽を
作る奇才がいた。それがレイモンド・スコット。
今の時代のシンセサイザーと比べるものでは無いが、
アルゴリズムを使い、シーケンサーで自動録音している。
何ともユニークだ。

その前は何をやっていたかというと、スティーブ・ライヒもびっくりの
ミニマルミュージックをやっている。
どこからこういう発想が出てくるか気になる。





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『レイモンド・スコットのElectronium』シンセサイザー続編。
- 2019/03/06(Wed) -
このシンセサイザー右、中央、左に無数のスイッチがある。
ボタン、ケーブル症候群の私としては無性に触ってみたい。
右パネルにTAPEとあるのはアルゴリズムを記録するものか?
electronium03.jpg
中央パネルは全くわからない。
electronium05.jpg
左パネルにテープレコーダが付いている。
このパネルの一番下にキーボードが格納されている。
electronium06.jpg
カウンターメモリとリバーブの文字も。裏はIC回路の山だ。
electronium13.jpg
思っていたより基盤で整理されていない。

そもそもレイモンド・スコットは1908年生まれのピアニスト、作曲家、工学エンジニア。
作品も残っているが、不思議な曲ばかり。
早く生まれすぎた天才と言える。
だが、やりたいことの気持ちはすごくわかる。
rsclavibox.jpg 





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『レイモンド・スコットのElectronium』シンセサイザー
- 2019/03/04(Mon) -
世の中にまだ見たことのないシンセがまだあった。
YMO第4のメンバー松武秀樹さんが紹介していた『Electronium(エレクトロニュウム)』
electronium01.jpg
これ何かなと調べてみると、アルゴリズムの塊のようなシンセらしい。
使い方は勿論わかりません。それも結構大きい。
electronium17.jpg
スコット氏はこれを11年100万ドル(一億一千万円)かけて製作したらしい。
世の中に隠れた楽器と名人がまだまだいる。
electronium10.jpg







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5.和製ジャズ温故知新2019/音楽の鎖国
- 2019/03/01(Fri) -
日本では音楽の鎖国という時期がある。

1940年~1945年(終戦)までである。
正確には、1942年から1945年まで。
この時期、政府情報局を通じ、以下のような文が発せられる。
「大東亜戦争(太平洋戦争のこと)もいよいよ第二年を迎え、今や国を挙げてその総力を
米英撃滅の一点に集中し、是が非でもこの一戦を勝ち抜かねばならぬ決戦の年となりました。
大東亜戦争は、単に武力戦であるばかりでなく、文化、思想その他の前面に至るものであって
、特に米英思想の撃滅が一切の根本であることを思いますと、文化の主要な一部門である
音楽部門での米英色を断固として一掃する必要のあることは申すまでもありません」

簡単に言うと、戦争も終盤にかかり戦局が悪いので総力戦のため、文化、特に音楽の
規制をする、というもの。
さらに、
「演奏を不適当と認める米英音楽作品蓄音機レコード一覧表を作って、全国の関係者に
配布し、米英音楽を国内から一掃し、国民の士気の昂揚と、健全娯楽の発展を促進する
ことになりました」


特に敵国の米英音楽を規制するというものである。
クラシック音楽はドイツ、イタリアも同盟国なので除外されたらしい。
さらにこのパネルが何ともすごい。
パネル 
そして、
「米英系音楽としてわが国に輸入され、また最も多く一般になじまれたものは、なんと
言ってもいわゆるジャズ音楽と民謡調の歌曲とであります。
しかし米国系音楽の代表とみられるジャズや、これに類する軽音楽の大部分は、卑俗低調で
、退廃的、煽情的、喧騒的なものであって、文化的にも少しの価値もないものでありますから、
この機会にこれを一掃することは極めて適切であり、また絶対に必要なことであります」

米英音楽、特にジャズ音楽は価値のないものなので、特に規制をするというもの。

規制のリストが以下である。
「ダイナ」「私の青空」「アラビヤの唄」に代表されるジャズ音楽、「ロンドン・デリー」
「麦畑」「ヤンキー・ドゥードル」「アニー・ローリー」「アメリカン・パトロール」
「懐かしのケンタッキー」「オールド・ブラック・ジョー」「スワニー河」
「ラプソディ・イン・ブルー」「峠の我が家」「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」
「月光価千金」「セントルイス・ブルース」「南京豆売り」「アロハ・オエ」その他・・・。

何ともジャズは例に及ばず、ラテン音楽、ハワイアンまで入っている。
この規制は終戦まで続くが、その後反動のように熱狂的なジャズ音楽のブームがやってくる。

なんでもありの現代からは想像できない世界の事であるが、
約80年前の日本の事である。





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